定期的に公演を観に行っていたので、1stフルアルバム『スーパーリアリズム』以降のウソツキがライブバンドとしてメキメキ力をつけ、著しい成長を遂げていることはわかっていた。が、それでもこの作品に見て取れる進化の度合いにはちょっと驚いてしまった。ライブを重ねることで獲得してきたあれこれをしっかりスタジオ録音作業に反映させながら、現在のバンドの持てる力を遺憾なく発揮している。リズムが太くなり、音の輝きが増し、何より曲調に幅が出た。吉田健二のギターはますます変幻自在度がアップし、藤井浩太と林山拓斗はヨコでもタテでも歌が弾むように乗っていけるリズムを柔軟に刻んでいる。竹田昌和はなんといっても言葉とメロディの幅を広げ、そうした4人の力のつき具合がそのまま音楽性の拡張に結びついているのだ。
ウソツキ、1年半ぶりの2ndフルアルバム『惑星TOKYO』。4人の本気と遊び心がバランスよく合わさって形になった会心作と言えよう。
*
オープナーはアルバム・タイトルにもなった「惑星TOKYO」。アレンジがまず秀逸だ。ロックバンドとしての自負を失わないまま、ここで彼らはそれ自体が際立ちすぎない程度にエレクトロなサウンドをうまく取り込んでいる。それによって東京という街の「惑星感」が強まり、さらに後半のダブ的な音処理によってその場所の混沌たる様相も浮かび上がる。ここで竹田が歌っている「東京」は、文字通りの東京シティではなく、かつては輝いて見えた憧れの場所(理想郷)の譬え。そこを目指すことそれ自体がかつては生きる支えでもあったはずだが、上陸して数年、その惑星の実際の住み心地といったら……。だがそれでも「この星は輝いている」と信じて何かを探しながら歩いていく。「そう信じていなくちゃ やってられない」からだ。
いつだって誰だって、「ここ」よりも「ここじゃないどこか」「いまじゃないいつか」のほうがよく思えるものだ。田舎で悶々としている頃には都会に行けばそれが解消されると信じているし、中途半端な学生の頃は大人になれば必ずいまよりましになるだろうと信じている。が、実際のところ理想郷なんてものはなく、どこにいたって違和感も孤立感もぬぐえない。じゃあ、どうするのか。情熱を失い、夢も捨て、下を向いたままあてどなく生きていくのか。そんなの嫌だ。そんなのは嫌だから、なんとか頑張って生きているのを確認すべく、問いかける。「ここ」じゃないところで夢を見ていた「あの日の僕」に。「応答どうぞ」「聞こえていますか?」。それはあの頃の自分に恥じないようにいまを生きられているかという自問でもあり、そうだと言ってほしいという祈りにも似た気持ち。応答してほしいというあまりにも切迫した思いだ。
言うまでもなく、ここでの「僕」は竹田自身である。が、いまこの文を書いている自分には「僕」が他人に思えないし、この世界にはここでの「僕」と同調・共感するひとがたくさんいるはずだ。これを読んでいるあなたも「僕」のように生きている(生きていた)かもしれない。そしてそういう「僕たち」の、この歌は救いにもなる。なぜなら「僕」がかつて思い浮かべていたものは、本当は「すぐ近く」にあり、「僕が見ていたのは この光なんだ」と「僕」は気づくからだ。竹田の言葉をここで紹介しよう。
「誰もがエイリアン。銀河鉄道に乗ってやってきてる僕らはもちろん、僕から見たらみんなも、きっと隣にいる人もそう。
みんな孤独で、だからみんな同じで、でも全然違くて、だから知りたくて、惹かれあって、でも結局最後はひとりで。
そんな僕たちのためのテーマを、似た者同士だから言えることを、エイリアンのエイリアンによるエイリアンのための歌を作りたかった。少しでも僕と同じ孤独を感じている人が生きやすくなるように」
すなわちこれが、竹田がウソツキというバンドをやっている理由であり、土台であり、証明であり、ある種の使命にも近い意識であるように思う。それは例えば7曲目「ハローヒーロー」で歌っていることにも繋がる。これはコンセプト・アルバムではないが、この「惑星TOKYO」で歌われていることはほかのいくつかの曲の歌詞と通底していて、だからアルバム・タイトルにもなったわけだし、オープナーに相応しい1曲だと、そう思える。
*
音楽性の拡張と先に書いたが、曲調からして実に多様なアルバムだ。疾走感のあるロックモードの曲に、じわっと染み入るフォーキーな曲。さらにはダンスナンバーも。その並びの押し引きの加減もあって、ワクワクする感覚を伴いながら最後まで進んでいく。そう、彼らのワンマン・ライブがそうであるように。
2曲目以降にも簡単に触れていくと、「人生イージーモード」はウソツキ史上、最高にファンキー。藤井のブリブリしたベース音を感じながらそこに乗って歌う竹田は実に気持ちよさげで、終盤ではマイケルよろしく「ヒ~ヒッ」と裏声が出ちゃってもいる。昨年7月リリースのミニアルバム表題曲「一生分のラブレター」は、この流れで聴けば尚更グッドメロディが際立ち、その真っ直ぐな思いがズドーンと響いてくる。4曲目「コンプレクスにキスをして」はなんとディスコナンバーだが、これが出色。こういう歌詞をグルーヴィーな音に乗せて歌うあたりがまさにウソツキの独自性だろう。うわべじゃなく、「汚い部分をさらけ出して 話をしようよ」という、本当の意味での繋がりに対する切望。竹田はそれを普段より女性的な声で歌っているから、これは「僕」の歌にも「私」の歌にもなる。この曲がラジオでがんがん流れることを僕は願う。そうすればウソツキのファン層はいまの何倍も広がるだろうから。
一転して「どうかremember me」は70年代のフォークソングに通じるメロディと言葉の合わさりが特徴的な曲で、「懐かしい歌うたえばあの日の匂いが蘇る」というその“懐かしい歌”がこの歌のようにも思えてくる。が、ここでまた逆側に振り切り、次の「地下鉄タイムトラベル」でまさに時間を現代に移して“追われる感覚”を表現。切迫感がたまらない。次の「ハローヒーロー」は昂揚感のあるサビメロにこのバンドの魅力が象徴されている、疾走する1曲。「嫌いな自分と授業終わりのチャイムだけが残ってた」のくだりにあの頃の自分が重なってなんだか胸が締めつけられた。
「心入居」は竹田の独創性が歌詞によく表れているミディアムナンバー。なるほどこういう書き方があったのかと、視点の面白さに唸らされる。続く「夢のレシピ」はライブにおいてもキラー曲になりうるもの。林山のドラミングに血が踊り、吉田のギターソロがまた気を昂らせる。場の温度を一気に上昇させる強度を持った曲だ。逆に「夢屋敷」はじっくり聴き入らずにはいられないバラード。「夢」もまた竹田がバンドで生きながら探し続けているその答えに近いものなのかもしれない。そしてアルバムの締めとなるのがミディアム・バラッドの「本当のこと」。「本当のこと言うと怖くてたまらない」し、「僕は空っぽだって」ずっと思っていたし、「ましてや君を救うことなんてできない」けど、でも「中身をくれるのはいつだって君」だから、ここで「僕」はその怖さにまっすぐ向き合おうとする。なぜならいつも寄り添ってくれる君がいてくれて初めて「僕」は「僕」になれるから……。思いのこもったここでの竹田の歌を聴けば、「僕」は彼自身で、「君」は彼の歌を聴きに行く目の前のお客さん(たち)のことなのかも、とも思えたり。ときどき捻ったり、ねじったり、煙に巻くような表現をしたりするウソツキは、しかしときどきこんなふうに「本当の」気持ちを言葉にする。まったくこのバンドは嘘つきのくせに正直で、正直さが照れくさいから嘘をつく。だから、やられる。
堂々たる進化作『惑星TOKYO』。この星に生きながら4人が見つけたもの、あるいは見つけようとしているものが、ここにある。
(内本順一)