『スーパーリアリズム』オフィシャルライナーノーツ公開!

ライターの内本順一さんによる、1st Full Album『スーパーリアリズム』のオフィシャルライナーノーツを公開致します。

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 高1の頃。クラスにまったく馴染めないでいた僕は、しばらくの間ほとんど誰とも口を聞かず、空気になったつもりで過ごしていた。日が経つに連れて違和感ばかりが巨大化し、そしてある朝、教室の扉をあけると、そこにはたくさんのエイリアンがいて、グエグエと鳴いていた……ような気がした。それはもちろん恐怖であったはずだが、クラスメイトがエイリアンに見えたということは、この孤立感たるやなかなかのものだなとそのときヘンに冷静に考えている自分もいた。“エイリアンならしょうがない”……そう考えたら少し気持ちがラクになった。恐怖よりも開き直れたという感覚のほうが勝っていたのだ。
 ウソツキの1stフル・アルバム『スーパーリアリズム』に収録された「転校生はエイリアン」を聴いて、そんなあの頃のことを思い出した。15歳の僕は15歳なりの孤独と違和と拒絶と諦めをカバンに詰めて学校に通っていたわけだが、恐らくそうやって見える景色を少しずらしてみたり、捉え方を変えてみたりすることで、どうにかやっていけたんじゃないかと、いま振り返ってそう思う。そしてこうも思う。こんな曲があの頃あったら、もっとラクな気持ちで生きられたかもなと。
          
ウソツキの全ての詞曲を手掛けている竹田昌和がどのような動機からこの歌を書いたかは知らない。が、きっと彼も「見える景色を少しずらしてみたり、捉え方を変えてみたりすることで、どうにかやっていけてた」人間なんじゃないかと想像する。感じずにいられない違和や生きづらさを、きっと彼はあるときから言葉や音楽で反転させ、攻めに出るようになったんじゃないか。「ネガチブ」じゃないが、思い通りにはいかない人生だけど「だから、いぇーい」と開き直って前進するのもありなんだってことを、彼はロックという音楽から学び取り、自らもそれを表現したいと思うようになったんじゃないか。

現実と非現実。リアルとファンタジー。その垣根を曖昧にすることで、竹田とバンドはかなしさをたのしさに、ネガティブをポジティブに、絶望を希望に反転させる(あるいはその逆も)。また、はぐらかしのなかに本心を混ぜ込んだり、断定を拒むようにイメージの余白を残したり。開放的なダンスサウンドにのせて「踊らされてる毎日さ」と歌ったりもする(「旗揚げ運動」)」。そもそもウソツキと名乗って『スーパーリアリズム』なんてタイトルを付けることからして相当にねじれてはいるわけだが、しかしメロディは極めてフレンドリー。サウンドも躍動的にして広がりがあり、とりわけ擬音効果までも担ったギターは聴く者のイマジネーションを強く刺激する。
いまの4人になって2年。“王道うたもの”バンドとしての評価をメキメキあげているウソツキだが、親しみやすいメロディでスッと聴く者の横に座り、気づけば音と言葉のマジックでいろんな記憶を呼び起こしたり、述べたようにネガティブを一瞬でポジティブに反転したりもするのだから、彼らはなかなかにしたたかで柔軟さも有したロックバンドじゃないか。と、真の意味での繋がりを求める故にいくつかのトラップを仕掛けたりもしているこの1stアルバムを聴いて、そう思う。
(内本順一)